大判例

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東京高等裁判所 昭和49年(う)2347号 判決 1975年3月11日

控訴人 被告人

被告人 植田俊弘 外一名

弁護人 渡辺明 外二名

検察官 立岡英夫

主文

原判決を破棄する。

被告人両名をそれぞれ懲役一年六月に処する。

被告人両名に対し、この裁判の確定した日から四年間右各刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は、全部被告人月本節三の負担とする。

理由

各控訴の趣意は弁護人渡辺明作成(被告人植田関係)、弁護人水上喜景、同菅谷幸男連名作成(被告人月本関係)の各控訴趣意書記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  法令適用の誤りないし事実誤認の論旨について(被告人植田関係)

所論は、「JASRAC」と表示された本件偽造シールについて、原判決は、これを署名を使用した私図画の偽造(刑法一五九条一項)であると認定したが、(1) 右シールは、発音的記号(文字)だけが用いられているものであるから図画ではない、また、署名が同時に図画であるというのは概念矛盾であるから原判決には法令適用の誤りがある、(2) 右文字は私記号(あるいは印章)であつて署名ではないから原判決には事実誤認がある、私記号であれば刑法で処罰されないから原判決には法令適用の誤りがある、また私記号でなく私印であるとしても本件は単なる印章偽造(同法一六七条一項)と解するのが相当であり、原判決には法令適用の誤りがある、と主張する。

しかし、原判決の事実認定および法令適用は相当であり、所論にかんがみ記録および証拠物を精査・検討しても、原判決には所論のような事実誤認あるいは法令適用の誤りがあるとは考えられない。

記録・証拠物によれば、本件シール(本件偽造の対象とされたシールをいう。以下同じ。)は、本来音楽著作権者から信託されて音楽著作物を管理している社団法人日本音楽著作権協会、略称「ジヤスラツク」、「JASRAC」(同協会は一〇年来この略称を使用している)が録音テープによる音楽著作物の使用者に対し、使用を許諾した際、その事実を証するために、使用者が製品に貼付することを条件として、原則として使用料の担保となる契約保証金と引き換えに交付しているものであること、本件シールは、昭和四一月一一月ころから本件当時まで五年以上も使用され、音楽著作物の取引業界では右シールの意味が十分に知られていたこと、本件偽造シール(末尾添付)は、本件のシールに酷似しており、横幅約二・四センチ、中央部の縦幅約〇・八センチの楕円形の白銀色台紙の上いつぱいにJASRACという黒色のローマ字六字を左から右に配列・印刷されたものであること、誰でも多少注意すれば、これがローマ字つづりで何かの略称であると判読できるけれども、その字体は、通常の活字体とは異なり、字線の幅が太く、形態も特異で、両端よりも中央部の文字が大きくなつているなど、シールの台紙も相まつて全体的に図案化されていること、現在この図柄について商標登録申請中であること等が明らかである。

以上の事実を前提に検討すると、まず、右の「JASRAC」という文字自体は、日本音楽著作権協会の英文略称をそのまま印刷した・文字による同協会の自己表現と認められるから、単なる印章・記号の類ではなく、署名にあたると解するのが相当である。また、本件シールは、多年協会が音楽著作物の使用を承認したことを証明するために交付・使用されていたものであるが、その趣旨は、業界内部ではもちろん、かなり一般的にも知られ、理解されていたと思われるから、右シールは、協会の自己同一性を表示すると同時に、さらに右の使用承認およびその証明という意味(思想性)をもち、この点も保護法益になつていると考えられる。したがつて、本件シールは、刑法一五九条一項にいう私文書あるいは私図画のいずれかにあたると解される。ところが、本件シールは、形状その他を全体的に観察すると、高度に図案化されており、文学的(発音記号的)要素よりも象形的要素の方が強いとみられる。このことは、JASRACという文字自体を読解できないものでも、多年の流通過程を通じその趣旨を理解し得るに至つている状況からもうかがわれる。したがつて、本件は、原判示のとおり、「ヽヽヽ協会の署名を使用して、ヽヽヽを証明する図画を偽造し」と解するのが妥当である。論旨は理由がない。

二  事実誤認の論旨について(被告人月本関係)

所論は、有限会社国富美術印刷に印刷依頼をしたのは半沢であるのに、被告人月本が同印刷において情を知らない佐藤に印刷させたと判示した原判決には事実誤認があるという。

しかし記録によれば、被告人月本は本件シールの印刷を半沢に依頼したが、同人の責任で印刷してくれるよう頼んだにすぎないのであつて、同人が他のものに印刷を頼むことを十分に予想していたこと、半沢から順次情を知らない市村、添川、佐藤に印刷の下請けが頼まれ、結局、佐藤が印刷したことが明らかである。したがつて、同被告人は半沢を通じ情を知らない佐藤に印刷させたものと認められる。半沢を通じた旨の記載がなくても結論に変りはない。原判決には所論のような事実誤認はなく、論旨は理由がない。

三  量刑不当の論旨(被告人月本関係)および量刑の職権調査(同植田関係)について。

本件偽造は、原判決も詳細に説示するように、著作権の使用料の支払を免れるため、計画的に本物に酷似した約二〇万枚のシールを偽造したもので、その使用により図画の信用を著しく害し、取引の安全、秩序を甚だしく乱したこと、協会に多額の損害を与えたこと等が明らかである。また被告人植田は、本件を計画・遂行した主犯であり、被告人月本は、右偽造のほか山林売買に関し合計四五万円を構領した件でも有罪と認められているほか、古く昭和三三年には同じ横領罪で懲役刑(執行猶予付き)に処せられている。これら本件犯行の罪質・態様、結果の重大性、被告人らの反規範的態度等に徴すれば、両名の刑事責任は重大で、被告人らを各懲役一年六月に処した原判決の量刑も理解できないではない。

しかし、被告人月本は、偽造については、被告人植田に誘われて参画したにすぎず、その利得もわずかであつたこと(被告人植田から一〇万円とジユークボツクス一一台を受け取つたものの、印刷代にまわしたため手元には五万円しか残らなかつたようである)、原判決後被害協会と八〇万円で示談が成立し、すでに三〇万円を支払つたこと、横領事件についても既に被害者に五〇万円を支払つて示談が成立していること、

また被告人植田については、原判決後被害協会との間で八五八万三九二〇円で示談が成立し、既に五八万三九二〇円を支払い、残金についても保釈金をあてることや自己所有の土地、建物に抵当権を設定するなどして確実に支払を履行する運びになつていること、その結果被害協会も同被告人を宥恕するに至つたこと、全く前科がないこと、両名とも深い反省の態度を示していること等の事情を考慮すれば、今回は両名に対し刑の執行を猶予して自力による更生を期待するのが相当であると思われる。この趣旨で被告人両名いずれに対しても、原判決は破棄を免れない。

そこで、刑訴法三九七条、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により自判する。

原判決が確定した事実に法律を適用すると、被告人両名の原判示第一の所為はいずれも刑法一五九条一項、六〇条に、被告人月本の第二の所為は包括して同法二五二条一項に各該当するが、被告人月本の右罪は同法四五条前段の併合罪なので同法四七条本文、一〇条により重い第一の罪の刑に法定の加重をし、各刑期の範囲内で被告人両名をいずれも懲役一年六月に処し、刑の執行猶予につき同法二五条一項、原審における訴訟費用の負担につき刑訴法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 横川敏雄 裁判官 柏井康夫 裁判官 中西武夫)

(別紙) 図<省略>

弁護人渡辺明の控訴趣意

一、原判決は「被告人両名の判示第一の所為は、いずれも刑法第一五九条第一項、第六〇条に」該当すると判示し、その理由としてその「JASRAC」の文字は図案化されているとはいえ右シールの作成者である右協会を表示する「署名」であるとしている。

二、そもそも図画は文書が文字又はこれに代るべき符号、すなわち発音的記号が用いられるのに対し象形的手法が用いられるものである。これによつてみれば、本件シールは発音的記号のみが用いられているという点では図画であり得ないのであるがもし「JASRAC」なる表示が「署名」と認められるとすれば、署者は発音的記号以外に考えられないから、署名が同時に図画であるというのは概念矛盾以外の何物でもない。

三、もともと吾が刑法は「……他人の印章若クハ署名ヲ使用シテ……文章若クハ図画ヲ偽造シタル者ハ……」と規定している。これは文書の場合はともかく、図画にあつては象形的手法を用いて事実証明に関する図画を造り、これに他人の印章若しくは署名を使用することによつて偽造が完成することを予定したものである。

四、そこで原判決がその文字の表わす意味と形状および図柄が相俟つて右協会の永年の使用により、取引界の一般から右協会が音楽著作物の使用許諾のため右シールを交付するとともに、右協会が音楽著作権の使用を承認した事実を証明するものして認められており、右シールは右証明を表示する「図画であり」と判示しているのは刑法の予定していなかつたことであつて、この点において、原判決は明らかに法令の適用を誤つたものと云わなけばならない。

五、なお本件シールは刃型を用いて「JASRAC」なる文字を鯨型台紙に印刷したものであるが弁護人はこれを印章であると主張するものである。

「署名」はもともと自署を基本とするが必ずしも自署たると要しないとすることは判例である。しかしそれが図案化された上に印刷されたような場合には印章と理解すべきである。

この点において原判決には事実誤認の違法がある。

六、しかして、判例によれば文章の上に顕出された印影は印章であり物体の上に顕出された場合には記号であるとし、シールの如きは物体に貼付されるものであるから直接物体上に顕出されたものと看做してこれを記号とする。

しかして、刑法は私記号の偽造を処罰しないのである。従つて五、の事実誤認は、ひいて法令の適用を誤らしめたことになる。

七、なお右記号であるという主張が認められず狭義の印章なりとするも印章以外に何らの象形的手法が用いられない場合には刑法第一六七条が適用さるべきであるからこの点においても原審は法令の適用を誤つている。

よつて原判決は破棄さるべきである。

(その余の控訴趣意は省略する)

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